姫路木綿の歴史

1.播磨姫路藩の財政難

播磨姫路藩では、酒井氏の代に入り財政難に陥りました。
1808年(文化5年)には、藩の借金は歳入の4倍強の73万両、現在の価値で約481億円(1両=66,000円)に達していたそうです。
当時、3代目藩主の酒井忠道は、河合寸翁を登用して藩政改革に臨んだ。

 

2.河合寸翁とは

photo河合寸翁は、幼少より利発で知られ、11歳の時から忠道の父2代目藩主酒井忠以の命で出仕しめ21歳には家老に就任しました。
また茶道をたしなむなど文化人としても知られ、忠以の信頼も厚かったそうです。
その忠以からの命で財政改革に乗り出しましたが、1809年(寛政2年)に忠以が急死し、改革反対派の巻き返しに遭い一旦は失脚しますが、忠道からの任を受け本格的な改革を開始しました。

 

3.姫路木綿誕生

home1wata1寸翁は特に木綿の栽培を奨励していた。木綿は江戸時代、庶民にとって衣服として普及し、その存在は大変重要となっていた。幸いにして姫路は温暖な天候から木綿の特産地として最適でした。
しかし当時は木綿の売買の大半が大坂商人に牛耳られており、寸翁ははじめ、木綿の売買権を商人から取り戻し藩直轄するのに苦慮したが、幸運にも忠道の八男・忠学の正室が徳川幕府第11代将軍・家斉の娘・喜代姫であったため、道臣は家斉の後ろ盾を得て、売買権を藩直轄とすることができた。
この木綿の専売により、姫路藩では24万両(約158億円)もの蓄えができ、借金を江戸専売を始めてから7、8年で全て弁済するばかりか、新たな蓄えを築くに至りました。
これが姫路木綿の始まりです。

 

4.おまけ

後に、播磨姫路藩の成功を聞いた他藩にも、木綿の専売件権を得ようとする運動が起り大問題となりましたが、江戸専売の利益を喜代姫の化粧料にあてることを理由として幕府の庇護を受け、他藩の割り込みを防いだということです。